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【学長メッセージ】~2016年度 学士・修士 学位授与式 式辞~

[2017年3月24日]

非時間の小径を通り、創造する市民へ

                              2017年3月23日 京都府立大学 学長  築山 崇

 

 本日、学士の学位を得た427名の学部卒業生の皆さん、修士の学位を得た87名の大学院修士課程修了生の皆さん、卒業・修了おめでとうございます。
 山下京都府副知事様、近藤府議会議長様はじめ御来賓の皆様、本学同窓会の三原副会長ならびに本学後援会の中村理事長、そして列席の理事長・副学長、部局長とともに、みなさんのご卒業を心からお祝いいたします。あわせてご家族あるいは関係者の皆様にも、心からお慶びを申し上げます。

 ところで、みなさんは本学の図書館報「なからぎ」を読まれたことがあると思います。毎年の新年号の巻頭言は学長が書くことが慣例となっており、今年は、時間をテーマに、人間の存在との関係を考えてみました。今日はその続きを少しお話したいと思います。
 みなさんは、時間、特に現在という瞬間をどのようにとらえているでしょうか。いま、わたしたちは、このコンサートホールで、学位授与式のプログラムの中にいるわけですが、数時間後には、お祝いのパーティーの輪の中にいる人もいるでしょう。一夜明ければそれぞれの日常があります。また、過去を振り返ると、入学の喜びに胸をいっぱいにしていた日々、実験や実習、論文執筆に集中した日々、あるいはスポーツに汗を流した日々などの記憶がよみがえってくることと思います。
 過去の自分は記憶の中に、未来の自分は想像の中にいて、この世界に存在しているのは、たった今、この瞬間の自分だけです。地球生命の40億年の歴史や未来へと続く時間を思うと、限りなく小さく、無に近い存在です。しかし、現在という瞬間のとらえ方次第、例えば、何かを考える、思考の世界においては、時間の束縛から逃れることができ、自分の存在の広がりを感じることができそうです。
 ドイツのユダヤ系の家庭に生まれ、ナチス政権成立後、パリでの亡命生活を経てアメリカに渡り、多くの著作を残した政治哲学者ハンナ・アーレントが、『過去と未来の間』 という著書の序章で、表題ともなっている過去と未来の間としての現在について、カフカやハイデガーを引用しつつ提起した視点が手がかりになります。
アーレントは、人間が立ち現れることによって、はじめて時間の連続に現在という瞬間が生まれ、過去と未来は、敵対する力となり、二つの力の衝突によって過去と未来の裂け目が生じ、そこに第三の力が生まれると考えます。この第三の力・方向性を、「非時間の小径(空間)」と呼び、そこは、歴史の時間、個人の生の制約から逃れることができる場と考えたのです。ただしそれは、精神の現象に限定されます。伝統や権威に頼るのではなく、生きた経験の出来事に結び付いた道標をたどりつつ進む、過去と未来の裂け目における思考の歩みは無限だというのです。
 学生・院生として過ごした過去と、社会人としての未来の「裂け目」にあたる今日という日は、みなさんが自らの存在を確かめ、世界を広げる貴重な機会ということになります。このような時間論をベースに、アーレントは、同じ本の「教育の危機」という章で、「われわれの希望は各世代がもたらす新しいものにかかっている」「教育はこの新しさを守り、それを一つの新しいものとして旧い世界に導き入れねばならない」と述べています。旧い世界がその存続のために、新しいものを意のままにしたり、ましてや破壊したりすることがあってはならないと考えているのです。

 みなさんは今人生の一つの節目に立っています。特に、学部・大学院修士課程を修了し社会へと旅立つみなさんは、環境、そして自分自身の役割の大きな変化を迎えています。大学院へ進学される皆さんは、大学という環境は大きく変わらないものの、深い学識と卓越した能力を身につけるべく、新たな課題を自らに課すことになります。
 みなさんは、“新しいもの”として、「社会」に導かれようとしており、新たにみなさんが導かれる世界は、みなさんの参入によってその未来に希望が生まれるという関係にあるのです。
 既存の社会・世界が抱える“危機”が深刻であればあるほど、そこに求められる存在は、安全で危機打開に即効性のあるものとされがちですが、それだけでは、新しい時代を拓く希望は生まれてこないということを、アーレントの議論から読み取りたいと思います。
 
 『ホモ・サケル』という著書で有名なイタリアの哲学者、ジョルジュ・アガンベンは、今日の社会の最も深刻な事態は、言語活動からの疎外にあるが、そのことが、逆に、言語活動そのもの(コミュニケーション活動そのもの)への人々の関心を高め、疎外の克服、言語活動の“取り戻し”の可能性を開いてもいると述べています。
 多種大量の情報や商品によってつくられるイメージ、イメージが現実に転化した世界に惑わされず、他者の存在、リアルな現実と結びついた言語活動・コミュニケーションの世界を、自分(たち)のものにしていく、確かな意志を持ちたいと思います。
 また、アガンベンは、いわゆる難民を「あらゆるアイデンティティ、あらゆる所属の条件を拒否する、なんであれかまわない単独者」ととらえ、「到来する共同体」、来るべき未来の共同体においては、この「なんであれかまわない単独者」こそが、その市民としてふさわしいと述べています 。
 アーレントがいう「新しいもの」に、この「到来する共同体」の市民となっていく可能性を重ねて読み取りたいと思います。

 今日の大学における教養教育のねらいが、「市民性(シチズンシップ)の涵養」にあると言われている のも、この点に関係していると言っていいでしょう。みなさんは、本学における研鑽の時を経て、来るべき共同体の市民として備えるべき教養と、社会において担っていく専門性の基盤を内に培ってきました。どうかそのことに確信をもち、自身の可能性に信頼をおいて、これからの道を歩んで行ってください。

 ところで、京都府立大学は、京都府が設置している大学であり、その目的を「京都府における知の拠点として、広く人文・社会・自然の諸分野にわたる真理を探究し、教育するとともに、その成果を健康と福祉の向上、産業の振興、文化の継承発展、国際社会の調和ある発展に活かすことを目的とする。」と、定めています 。

 教養科目の「環境共生教育演習」では、京都府内を中心とする地域に出向き、住民の暮らしに直に触れ、地域課題の解決を目指す実践に多くのことを学んだことと思います。それ以外にも、専門の演習やキャリア育成プログラムでの演習、インターンシップなどで、地域の産業や暮らしの現実から貴重な学びを得てきたことと思います。また、大学院では、次代を拓くイノベーションにつながる先端的研究に触れる貴重な経験も積んできたことと思います。
 これからは、そうした学びの財産、磨かれた感性を活かして、文字通り地域社会の一員、その未来の担い手として、持てる力を存分に発揮していってほしいと思います。もちろん、これからも、学び続け、自己を磨き高める営みを重ねながら。それは決して苦役ではなく、限りなく楽しい時間であるはずです。

 京都府立大学は、府民・地域によって支えられ、ともに歩む研究・教育、学びの場として、一二〇年をこえる時を刻み、これからも新たな歴史を重ねていきます。卒業生のみなさんのこれからの人生の歩みも、本学の更なる発展と共にあることを願っています。
結びに、あらためて、本日ご列席のみなさまのご健勝とご活躍を祈念して、式辞と致します。

 

 

※1 ハンナ・アーレント 『過去と未来の間』引田隆也 斎藤純一訳 1994 みすず書房

※2  J.アガンベン 『到来する共同体』1990/2001 月曜社 p.105,110

※3 「21世紀に期待される教養:学問知・技法知・実践知と市民的教養」 平成22(2010)年4月5日

   日本学術会議 日本の展望委員会 知の創造分科会

※4 「京都府立大学の理念」2008.10 


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